
ただいま安部公房の『死に急ぐ鯨たち・もぐら日記』を絶賛読書中です。前頭葉だかどっかその辺りの脳の、どこかとどこかをグリグリ、グリグリとされていているようで、読んでいると痛気持ち良いのですけど、「読了する頃にはどんな思考になってんだろ、自分」とワクワクムネムネの、ワクムネが止まらない日々でございます。
またまた今現在、そこそこ全て順調でありますし、少々の問題があっても気を付けて処理していけば難問に化けちゃうこともないでしょうという感じなので、慎重に安全第一で、同時に予定通りにこなしていけたらいいな、頑張りきれるかな、心折れないかな、心配だけど心配している時間もないから急がなきゃな、と思っております。
時間が出来たら『死に急ぐ~』の初っ端のお話のエラ呼吸する未来人間の話を読んでみたいです。
エラ呼吸する→地上で生きられなくなり海に行くという考えは、先に鯨やイルカ達が選んだ道でもありますし、完全にあり得ないことでもないですよね。
今は目のデカさや鼻の高さや形にこだわる整形が、ルッキズム?なんちゅうカッコいい言葉で言われてる、要するに見栄えをよくしたい&見栄えしか勝たん!的界隈では流行っていますけど、「先々、色々あっちゃって、人間が海で暮らすために人工のエラをつけるようになったら、みんな張り切って色んなエラつけるんだろうな。ホログラムとか、蛍光ネオンカラーとか、蓄光とか!蓄光もいいけど、私はセルロイドとかベイクライトのエラがいいな。高かったらそれよかは安いだろうエボナイトでもいいや。どうせエラつけるなら自分の好きな素材のものにしたいな。定期的に取り換え可能ならアルミと真鍮とかと交互に使いたいな』などと、話の本筋とは違うところでもしっかり興奮しながら、限られた僅かな時間のなかで、安部公房が作り出す言葉のリズムから訳のわからない想像も膨らませ、楽しみながら読んでいます。
来春くらいには読めるかな?それより前にまんずカネッティ作品を改めて読みたいし、春になっちゃうかもしれないなーと思っています( ;∀;)
メモを取り、まとめながら読書するのは、記憶によりしっかり残って最高なんですけど、相当読むのが遅くなる、遅読過ぎ傾向甚だしいのがもどかしいのですのよ。
でもかっ飛ばして言葉のリズムを感じずに理解した気になるのは、文学作品には向かないと思うので…、このままこのやり方で読んでいくしかないかな、なんて考えていますよ~。こんにちは!サヴァネコです!

今回はみうらじゅんと根本敬の二人についてと、このお二方から私のなかのサブカル魂を考察するお話しです。
【の前に、このお二方はとても強い個性が伝わりやすい方達ですので、何かしらの病的なものに例える方もいらっしゃるかもしれません。
医療関係者の方達でも「~症の傾向がある」や「~の症状に似ている」、「~のように思われる」と簡単に言い過ぎると私は強く考えている為、そのような表現だけは避けていますし、今後もそうしていきたいと思っています。
適切な診断、適切なカウンセリングを受けても、絶対に間違えないという事はないんです。特に心や脳に関する事は未だに解明されていないことが、他の医学よりも多いですから、真面目にクライエントさんの為になろうと考えている方達は、日々思い悩み、勉強し、その日その時最大限のことをしなければと考えて仕事をしています。
表面のごく一部の抜粋で、まるですぐに判断可能かのように、物言いを読んだり聞いたりした方達は、自分がそうなんではないかと自身で診断してしまう傾向が、それこそ強いのです。
もともとは、”ある傾向が強かった”だけの方がその病名に過剰に囚われてしまい、傾向があるだけだったかもしれないものを悪化させてしまうケースは悲しいほどによくあるんです。
ですので、ネットで見かける”無料サイコパス診断”などありますが、無料ほど恐ろしいものはありませんから、自制心を強く持ってやめて頂いて、信頼できる病院などで良心的な先生に診断してもらうことをお勧めします。
その診断ででた度合いが何パーセントであったとしても、その診断を当たってる当たってないのどちらの判断にも関わらず、その診断を受けたことは脳が記憶してしまいますから、それが正確なものかも分からないまま、そのパーセントに思考が縛られてしまいますので、気を付けて下さいね】
そして話は戻りまして…、
みうらじゅんは大仏様とかの研究でも知られているのかな、何が一番有名なのかは分からないですけど、タモリともたまに絡んでいたように記憶しているので、知っている方が多いと思います。
対する根本敬は、サブカルの根っこにいるような存在感ですね。根っこっぽいので、深く掘った方でないと知らないかもしれませんが、ほんわかした人が好きな方にも驚くほどの支持を受けている(未だに不思議でならないですがw)蛭子能収さんとかなり(ヤバいほどに~と言ってもエロいほうではなく魂レベルで~)親交が深い人です。
この二人は私の人生の大事な局面にポッポッと突如交互に現れる…と最近まで思っていたのですけど、そうじゃなくてこの二人の発信することに触れることで、大事な局面が良きにつけ悪しきにつけやってくるんだと…今は思っています。
『ならコントロール出来るじゃん、退屈だな~と思ったら検索して見つけて、このままでいたいと思うならこの二人の情報を避けるとか』と考えると思われますが、そんな生易しいものなら私だって今まで苦労していないんですよ、奥様、やっぱりそういうもんじゃないのでございます。
それでもまだ、みうらじゅんは太陽なのでね、大笑いしてそれですむ場合があります。けど、何だろう…みうらじゅんの世界観が乗り移ってきそうな恐怖感があるんですよね。
みうらじゅん的モノの見方をしないといけない、最低でも受け入れないといけない、拒絶は許されない的な。上手く書けなくてもどかしいですが、お判りいただけますでしょうか。
たとえば、あるサブカル好きな知人が以前言ってたんですけど、「みうらじゅんが営業マンやってたら、トップセールスマンになると思うな。ほら、売ることのできるセールスマンは道端の石ころでも百万で売れるっていうじゃん。ああいう感じ!」って言ってて、なるほど!と思ったことがあります。
私はその話を聞き、みうらじゅん(みたいな感じの人)が、片手に石ころ持って、玄関の前に立ちながら、淡々とした熱っぽさのある言葉を(みうらじゅんの口調で)自在に操り、その石ころの魅力を語り出したら、おそらく30分くらい話を聞いたらもうきっと、積極的に買っちゃうわ、間違いない!と出逢ってもいないうちから既に払う気満々になってしまいました( ;∀;)
しかもその石をお気に入りの場所に飾って、見る度に話してくれたことを思い出し、「はぁぁ凄いわ」と飽きずに考えていられる自信しかないです。
後悔はまるっきりしそうにないんですけど、…と言うか、後悔しない自信もあるんですけど、だからこそ、みうらじゅん(にすべてが似ている)セールスマンには出会いたくないなと心から思います。
セールスマンが怖いというより、売りつけられた石ころは大事に出来て、一生後悔しないかもですけど、その石ころが私を励ましてくれてたり、支えになるということはないように思うんです。ただその石ころは凄いもので百万の価値は軽くあるぜ、ということしか記憶になく、石ころと私のこれからをつなぐものが何もないにも関わらず、それを大事にしそうな自分が恐ろしいんです。
でも、もしも出会ってしまったとしても、私は百万の価値はある凄い石ころは手にできるわけですから、みうらじゅんは太陽かなって考えるんです。
かたや今回の考察では、月の立場に立っていただいた根本敬。一時、驚く感じのお洒落なネットショップ?もされていて、その着用モデルさんには、TVブロスや、一時期のマガジンハウスが総出でプッシュしていた感のある、広尾界隈のお洒落さん御用達雑貨店FOB COOPでTシャツを販売していた友沢ミミヨの可愛すぎる娘さんがされていました。
そうそう、『家作(かさく)』というブランド名だったと思います。和のイメージのブランド名ですけど、根本敬がデザインしたのかセレクトしたのか分からないですが、ほんとお洒落で可愛くて、靴を買ってしまおうか迷っていた時期がありました(何かで気がそぎれてそのまま今に至ってしまいましたw)。
あと、私も数回行ったことがあるのですが、単館映画好き御用達映画館のUPLINK主催で映画館のなかで根本敬のコレクションや知識を教えを授かることの出来る『夜間中学(websiteで確認したところ正式名称は”実験”映像 夜間中学という様子なのですが、渋谷で開催していた頃はただの夜間中学だった気がします…うろ覚えですみません)』というものを開催しています。
今は吉祥寺でやっているんでしょうか。私がヤングの時に行った頃はUPLINKがまだ渋谷の奥にあって、そこで月に一度程度のペースで夜間中学は開催されていたと思います。
どろっどろ濃すぎる様々な根本敬の素晴らし過ぎる知識を教えて頂き、終電なくならないうちに帰らねばと急ぐ渋谷の街とのギャップに、何とも言えない気持ちになったものです。
そこでは凄すぎるインドネシアのバンドのリーダーと思しき人が、他の宗教を信仰されている人達が発狂しそうな発言を強気でしていて、アナウンサーがドン引きしながらも必死でまとめようとしているザ日本人のお手本のような貴重映像や、色々な思いがある方もない方も韓国の人の卓越したリズムのセンスに脱帽するしかないイ・パクサ?さんの貴重映像、故樹木希林さんが故内田裕也さんのライブにゲスト出演してエラく楽しそうに歌っている様子、またロマン歌謡が日本の芸能界でどのようなポジションだったのかということなどなど。
夜間中学で知った情報は、それを知らずとも今後の人生になんの影響もなさそうな話なのですが、怖いくらいにその後の見識が変わってくるものを教えてもらってしまっていたのだなと、今でもこの数回の夜間中学に私の思考は大きく影響を受けていると思います。。。
私が夜間中学から足が遠ざかってしまったのは、根本敬は人間の闇を悲しいくらいにリアルに暴き出し、世間の目にそのままの…ありのままの姿を見せつける能力に長け過ぎているからです。
夜間中学での教えて頂ける内容が凄いなと思えば思うほど、ドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』で、ある意味日本人とは何かと考えさせられる人となっていた主人公、奥崎謙三のイメージをがっつり壊し、トホホという気持ちになるとしか言えない奥崎謙三が再び主役となる悲しいドキュメンタリー映画『神様の愛い奴』の製作に大きくかかわっているはずなのに、サラッとクレジットに載るところまでは関与しない(か、何かあった…)根本敬が本気で怖くなってしまったからです。
この『ゆきゆきて、神軍』はベルリン国際映画祭でカリガリ映画賞やパリ国際ドキュメンタリー映画祭でグランプリを受賞した今村昌平のプロダクションから原一男監督が製作した映画なのですけど、その監督の手法?がウィキペディアによりますと、
”「カメラを向けられると、演技してしまう出演者」を取材対象としてドキュメンタリーと劇映画の区別を判別困難にする「虚実不明」の状況にし、またドキュメンタリー映画が本来持つ「やらせ的志向」を省略せずに描き、「ドキュメンタリー映画の持ついかがわしさ」を露呈させた”という、何やら言い訳がましい感じさえする事が書かれているのですけどもw、
少なくとも『ゆきゆきて、神軍』の奥崎謙三を多少オーバーリアクションに故意にさせたようなことはあったかもしれませんが、”その意志がいかがわしい主人公”として撮影されたとは思えないですし、そういった印象を持ったのが私だけではなかったから、後々数冊の本を出版が可能になるくらい、彼の思考に興味を持った方がいたのだと思います。
『ゆきゆきて、進軍』が魅せた奥崎謙三という一人の魅力のある人物像を、サラッと悲しいくらいに残念な人に変えたのが『神様の愛い奴』なんですけれど、そんな風に奥崎謙三を大きく変化させたのは、根本敬なのではないかと私は映画を観ていて、勝手にそう思いました。
戦争や皇室が云々というより、そこがあんたの一番大事なことかいなと、まー…大事なのも分からないではないんですけど、全てを台無しにするバイオレンスがある映画で、凄く大切なところで根本敬は関わっているように映ったんです。奥崎謙三の閉ざしていた心を開かせたら、とんでもない闇が奔放に散らかってしまい収集つかなくなってしまいましたって感じの作品です。

人の闇を見抜く力が凄いのか、人の闇が根本敬に吸い寄せられてしまうのかは分からないですが、根本敬と関わっているだろうけれど、無邪気に好きと思えるのは友沢ミミヨの漫画くらいなのですけどw、もしかしたら友沢ミミヨも相当そういう人(どういう人?wwwと自分で突っ込みながら書いておりますが、”気になる!”という奇特な方は是非、『ゆきゆきて、神軍』の後『神様の愛い奴』に登場する根本敬を是非ご覧になってください。きっと伝わるはず…です)なのかもしれません。
(↑追記です*今Amazonで何となく調べたら中古版で1000円くらいだろうと思っていたのに、まさかの5万越えでしたwwwいったい何が…奥崎謙三がどこかで来てるのでしょうか。私は彼に既にそこまで調べる情熱を失っているので分かりませんけれど、何度も繰り返し見たくなるものでは普通はないと思うので、本当に余程でなければそんなプレミア価格で買う事ないと思います。ヤフオクとかメルカリを常にチェックしてれば1000円くらいである気がするけど、何かでバズってしまっているのだとしたら、ほとぼりが醒めればそういう値段になると思います。絶対とは言えないですし、ディスりたいわけでもないんですけど、たまげた値段で買う人もいるんだと思いました。~混乱気味ですみません~)
根本敬が悪戯に興味本位で近寄ってはいけない人だろうことは、彼の漫画「生きる」も「天然」も張り切って買ったのに、いつも数ページで胸が苦しくなってしまって全く進めないだけじゃなくて、事ある度に(おじさんがスーパーなどでおろおろしている時とか…)藤吉郎が頭をよぎって切なくなってしまうことから分かっていたはずなんですが、ついうっかり夜間中学とか個展には行ってしまっていたんですよね。
ここまで書いておいてですけれども、根本敬は、実際夜間中学や個展などで(一ファンとして)お見掛け程度にお会いすると、とても腰が低く礼儀正しく、かなり優しい良い方なのも、より複雑な気持ちにさせてくれます。
そして、何かがタモリとかにも気に入られていそうである、みうらじゅんと似ていると思うんです。漫画はほぼ似てないというか全然似ていないですし(無理矢理くくればどちらもシュールかもですけど、似てないと言って過言じゃないと思います)、みうらじゅんは仏像好きが健全そうに映るのか、分かりませんがメディアに普通に登場しますよね。
もともと糸井重里がデビューに絡んでいるようなので、今でこそサブカルの主のような貫禄さえ感じさせますが、スタートから何気に実は王道路線の人なのかもしれません。
翻って根本敬の周囲は、カピバラっぽい風貌だからかお茶の間に受け入れられた蛭子さんが異彩を放っていますけど、他は食〇事件の佐川くんとか?それと若くして亡くなってしまった漫画家の山田花子は根本敬のファンだったらしいですね、とか。あとは、奥崎謙三とか。周辺人物がもうサブカルというよりもはやアングラのにおいしかしないですしw、だからかお茶の間に映る根本敬はイメージ出来ないですよね。それは漫画でも蛭子さんの30倍はヤバいので深夜枠でもかなり難しそうですし。
ですけど、音楽のチョイスのセンスとかはみうらじゅんより全然いいはずで、それはたまげるくらいですし、持っている情報の凄さもきっと根本敬の方が凄いはずです。きっと!
しかし、この二人が本当に似ているとしたら、みうらじゅんの世界観の方が安心して楽しめるし、何かあったとしても100万で石ころ買わされる程度だと思いますし、なんだかんだとても目のつけどころの良い人で面白いですし、みうらじゅんのようになりたいなとかつい思ってしまう時もあります。
なのに、全然根本敬になりたいとか怖すぎて思えず、根本敬の作品と関わった記憶は決して笑えるものではないものが多いのにずっと脳裡のどこかにこびりついて、しかも脳のどっかで勝手に息づいている気がするのに、みうらじゅんの記事を見掛けても根本敬を思い出しますし、それに…、何か根本敬の作品は目を背けたくなり、何かの結論に辿り着く前に結局いつも目を背けてしまうんですが、本当は背けちゃいけないもののように思えるんです。
自分の弱さや、考えなしでピースフルでいたい能天気な部分を狙撃してくるというか、「平和を愛したいなら、これを味わいクリアしてからピースと言え、話はそれからだ」と言われている気がするのです。…安部公房にさらっとでも「生きる」か「天然」を読んでもらい、人がなぜ根本敬の作品でなんでこういう気持ちになるのか分析してもらいたかったです。
安部公房より澁澤龍彦の方が系統としては向いているかもですけど、これは大衆心理や群衆心理とどこか結びついている感情のような気がするんです。
サブカルは大衆受けや一般受けをした時点でそれは王道でサブカルではないと思うんです。今サブカルにカテゴライズされているアニメは世界的に認知されていますけど、人生に関わってくるほど好きな感情が大きい人は、世界の人々のなかでも内向している人に多いように感じるので、ギリサブカルなんだろうか、と考えていますが、ある程度認知されていたらそれはもうサブではなく、ただのカルチャーじゃね?と思うんです。
そしてサブカルは、カルチャーが堂々とあってこそ、サブとして存在できるものですよね。「主流もいいけど、亜流も乙なもんよ」的な。
私がサブカルが好きなのは、見落とされがちなものだから大事にしたいと思う気持ちが強いからだと考えています。どんなに良いもの優れたものがあってもサブカルという立ち位置のものは所詮サブのカルチャーなので、忘れ去られてしまう確率が非常に高いでしょうし、もっと言うと忘れ去られる前に、主流の流れに乗っている人の眼には入ってない事の方が多い気がするのが、何と言うかただ結局辛いんだと思います。
暴力的にざっくり言えば『強者より弱者が好き』なだけなのかもしれないです(それだけじゃねぇわいとは思いたいですけど…)。
そう考えると、私がみうらじゅんより根本敬が気になる理由もそれだけのことなのかも知れないとも思います。が!根本敬は弱者ではないぞ?見た目にもどっこいどっこいな感じがするぞ?とも思ったりもするのですけど、どうなんでしょうか。
サブカルが好きというと、捻くれ者的なイメージもあるかなって思いますし。ただ捻くれてるだけなんでしょうかね。まーなんでも好きなものは好きで。
そしてなぜだかみうらじゅんと根本敬は似ている気がして、だけどこの二人が同等ではなく、陰の要素の強い根本敬の方がつい気になる(ここで大事なのは好き嫌いではないことなのです!)不思議は、私のなかのサブカルというコンテンツの意味と何か繋がっているような気がしているけど、根本敬が怖すぎて突き詰められないので、堂々巡りをしている最中なんですよ、という、身も蓋もないお話しなのでした。






