
そうそう(突然w)そうなんです!
ブログとXを書き始めたおかげで「はぁ、やんなきゃな~しかし面倒くさいねぇ、ねぇ、ニャンコ達~」などとほざきながら仕事と猫の世話と掃除以外はぐぅたらぐぅたら気味で、なかなか進まなかったことが数多くあったのですけど、何と!あくせくはしておりますが、なぜかSNSで書くことをこっそりやり始めましたらなんとか何かと出来ることが増えてきました。
一時的なものかもしれないですけど、それでもいい。たくましく育ってほしいし、うれしいです(‘ω’)ノ
iPhoneのデータ移行もちゃんとしましたし、順調に植え替えも進んでいて、ちょこちょこ読んでいる本を読む速度も”いい感じ”になっています。
…そうです。このまま”いい感じ”が加速に加速をつけてくれたなら…、
まず、どこかで華やかに暮らしている誰かが、何の理由も見返りも求めず何十億円か送金してくれると最高ですね。
「心配しなくていいですよ、綺麗なお金ですから。あなたの好きに使って下さい。でも贈与税は払って下さいね」と書かれている、こっわいくらいに優しい手紙の中には、書いた日付と捺印に直筆の署名がしっかりと書かれており、そして振込証明になるようなものを併せてそっと配達記録付きで送ってくれているんです。
「やだ、どうしよう!うれしい!これで念願のシェルターが作れるじゃないの」と感激しながらしばらく1人で喜んだあと、人目も憚らず、いやむしろこれ見よがしに万歳三唱しながら、私に脅え足早に通り過ぎる人達にも満面の笑みを振りまいて、良いお肉でも買っちゃおうかとスーパーに出掛けて行くんです。
そこにはなんと!
今まで出会ったことのない、想像もしたことない、私の知らない私の理想にぴったりの男性が、パール兄弟の『色以下』か何かを軽やかに口ずさみながら、ミニトマトかなんか選んでいるんです。
彼は万歳している私を見つけると、絶妙なタイミングでニッコリと爽やかな怪しさがまったくない笑顔を私にも周りのお客さんたちにも見せつけながら名刺と履歴書を渡してくれつつーの
「僕は僕でこれからも楽しく生きていますので、月に一度ご飯食べるだけでいいですから結婚しませんか。困ったことがあったらLINEとかで相談に乗りますよ?ねじ回しとか、粗大ごみの片づけとか。排水溝の掃除も結構得意というか趣味なのでいつでも呼んで下さい。1人で行きづらいライブとかにも、きっと趣味が合うんで付き合いますよ」と、面倒なあれこれをすっ飛ばしてプロポーズしてくれるのです。
私は何の不安もなく万歳三唱に加えて喜びの舞(モンキーダンスに毛の生えたようなw)を彼に披露しながら、その場(スーパーのミニトマト売ってる場所)で婚姻届に署名をしていると、彼はすでに保証人を読んでくれており、必要な書類もなぜかバッチリ用意してくれているので、そこから30分もしないうちに既婚者になれるのです。
役所の方々に暖かい拍手をされながら、これで「あーこれからは誰にも”こいつ、なんでいつまでも1人でフラフラしてやがんの?怪しい。何かヤバい性癖持ってんじゃね?”などと余計な詮索たっぷりの眼差しを誰からも向けられないですむんだわー」と思うと同時に「じゃ、来月から月に一度のお食事会をよろしくお願いします。連絡は初めはg-mailでいいですか?LINEはもう少し仲良くなってからって事で…」と言うと、彼はまた澱みのない爽やかとしか例えようのない微笑みを浮かべて「もちろんです!では3日後くらいにメールしますね」と言って、そのまま軽やかに去って行くのです。
帰宅すると、うちの最近ぐうたら化が顕著で少し心配な、ちょいお爺ちゃんはいっちゃってるおじさんトラ猫3兄弟達が、2,3歳ごろのピチピチした感じに戻ってて3匹でじゃれつきながら疲れ知らずに走り回って遊んでいます。
「これならもっともっと健康で長生きしてくれそう」と喜び、「今日は確変どころじゃない、どえらい日だったなぁ。まー何と言うか、良かった良かった」と猫おもちゃを両手に持ちつつ、3兄弟の遊びに参戦しようとしていたら、何やら続々とLINEが来ているんです。
何事と思いLINEを開くと、クライエントさん達から続々と山のように快方に向かいまくりだという連絡が入っています。
寝る時間ないくらいにその対応に追われ、これまで生きてきて一度も経験したことのない、激鬼ハッピーな寝不足というものを感じながら次の日の朝を迎えるのです。。。。。凄い、凄すぎる。
さて、そんな絶対的ハレの日を迎える日も、もうそれほど遠くないのかも?あと一カ月くらいかな?まさかの来週だったりして!どうかな?どうでしょうか。
なぁぁんて、都合のいい夢を語らせたら、どんなに疲れていてもエナジードリンク片手に夜通し続けられる自信に満ち溢れております、こんにちは!サヴァネコです。

今回はX世代とかカッケー呼び名がついている現代のミーちゃんハーちゃん、所謂承認欲求が単純そうでいてちょい複雑な回路で出来ているミーハーさんから、あの頃は良かったな世代の本家ミーハーさん(この本によると、ミーハーの決め言葉”かわいい”をやたら使用するのは1960年~70年にかけて3,4歳の幼児期を過ごした方々だそうですw~178頁記載~)まで、幅広い老若男女に、今こそどこかの中古屋さんで手に入れて頂きたい、そして一言一句を出来るだけ噛みしめながら読んで頂きたい、野田秀樹のパンクというかアナーキーというかな幻の名著『ミーハー~この立場なき人々』の御紹介です。
私は高校生の頃に誰かの家かどこかで一回読んだことがあり、”ミーハーの呼吸はミーと息を吸ってハーと吐く”的な事が書かれている箇所が、大好きなアフォリズム達のように脳にもハートにも刻み込まれていたつもりだったのですけど、今回Amazonで中古で購入し、その部分を探しながら読んでみたところ、見事に見つけられませんでした。まぼろし?まぼろしをみたんでしょうか。
近い言葉はあったので、それを脳内変換しちゃっていただけかもしれないのですが、今一度読んでみましたら、”こんなに凄い本だったっけか?”やこんなに野田秀樹って”挑戦的なこと書く人だったの?”とバカ丸出しで新鮮に感動しまくっていたので、シレっと読み損じをしてしまっている可能性もあります。
そういうことも含めてまだ確認したりないところは奥深いことをあちこちに散りばめている本なので、当時を検証しながら今を思いたいのですけど、とにかくこの素晴らしい本をあまり強く勧めていらしゃる方がいらっしゃらないので、急いで書いてこのブログを読んでいるというきとくな人達に教えてあげませんとですわって考えて書いております。
急いでブログに書いたには、書いたなりの理由が私なりになりなりとばかりにありましてですね、おそらくこの本は何かがあって野田秀樹が今を時めくテックトッカーさん達やインフルエンターさん達(少しカタカナ間違えてますがそこは気にせず先に進んでください★)が大絶賛して大バズりしたとしても、修正加えずにそのまま復刊はないように思ったからです。
なんならネット界隈くまなくパトロール中のどなたかに目をつけられて中古市場からも抹殺されかねないな、という不安を感じたからです。
一体どこが問題で、そもそも一体どこの当たりで野田秀樹のパンクなソウルを感じ取ったかが、具体的に御紹介するには、お恥ずかしい話ですけどまだまだ全然今の人生に未練があり、ほんとに…もうあれやこれやを想像して下さいとしか言いようがないのですが、あれやこれやを具体的に10個くらい想像していただけたら、そのうちの7個の要素はこの本に含まれているという感じでございます。
どこかがピストルズのジョン・ライドンとイメージが似てまして、表面の言葉だけをなぞったのと、自分のなかにある闇とこの本の言葉を照らし合わせながら読んでいくのとでは、随分と受け止め方に違いが出てくる作品だと思います。
問題提起の仕方が巧妙過ぎて「どんな思いでこれを書いたのか」が考え過ぎるとますます訳がわからなくなります。かと言って夢野久作の【ドグラマグラ】のように始めから意味不明にしようとする強い意志があるかのような作品ではなくて、混乱しかない質のものとも違うんです。

コンプライアンスに引っ掛かりまくりでヤバい(だろう)本を、天才が書いていたのかと感慨深く読むのもよいでしょうし、あまり難しく考えずに、野田秀樹の全開バリバリの笑いのセンスだけを堪能するというのもありかもしれません。
野田秀樹は結局…昔大竹しのぶとちょっと付き合っていた人くらいのイメージの人にはたまげてしまうと思いますので、ウィキペディアでざっと経歴をみてから挑まれるのがお勧めです。
1984年の本ですからちょうど40年前に書かれた本とは思えないくらい、今が重なって見えるのも面白いです。何周か回っているうちに80年代っぽい感じになってきたのかな。ですがまぁ当然激しく違うところもありますよ、だけどこの本で野田秀樹が語っている未来像はそんじょそこらの予言書よりは結構当たっているのじゃないかなと思います。
この本に不満があるとすれば、読み終わりの最後の著者紹介のところが、(野田秀樹が)2025年に亡くなったという未来記事のような形になっているのが、2024年に読んだ私としてはちょいとイヤでした。こういう天才の方にはまだまだ表現することをやめないで欲しいと切に願います。
私がこの度『ミーハー~この立場なき人々』を読み、一番救いになり、またハッとして考えさせられたのは120頁~129頁の間に書かれている、”自分が1人でうっとりする為に書く”と言う言葉です。
自分を満足させられる言葉は、なかなか見つける事が出来ないですし、それこそ生涯かけても果たして見つけられるんだろうかと訝しく思いますけど、でも見つける努力はしていかなきゃいけなくて、その意識の次に相手にどれだけ正確に相手に伝わるように話していくかがやっと考えられるようになる(要は会話が出来るようになる)ものだと思いますから、もっと精進しないとなと思いました(これが書かれている章の名前を書くと台無しになりそうで敢えて書きませんでした。もー…。ヘタレですみません)。
そう。私も私で頑張るので、今どき命そこんとこ夜露四苦な方達は、句読点や改行を毛嫌いせずにっつうかそんなものに気を取られていないで、その人が何考えて今このメッセージ送ってんのかなという意識をもうちょい研ぎ澄ました方が、句読点や改行を気にしてやりとりをしているよりも、相手との距離が分かっていいと思うんですよね。。。。。。。
なぜなら関わっている人達は己と被るものだからです。その界隈でマウント取り合ってても、その横の界隈からみたらどっちもどっち。似た者同士。
皆仲間で皆同じに見えてしまうものなんです。より仲間、より親しいと思いたいのならやり取りの頻度や使う絵文字だけで判断していくのは難しいから、近くにいけないし行こうとすると極端に力が入り過ぎて踏み込み過ぎてしまったりもしちゃうと思いますので、句読点や改行や(このブログのようなw)長い文章は無理!というならば、せめて野田秀樹がアドバイスしてくれているようにすべてひらがなでやり取りはするようにして、そのひらがなの間と間にある空気を感じ取るくらいのことを騙されたと思って一度してみてもらえると、親しくなるべき人とはより適度に親密に、どうでもよいひとは遠くなりそれなりになっていって人間関係が円滑になると思いますよ(‘ω’)ノ
言葉は他人に気持ちを伝える道具です。道具は上手に使いこなすとより快適になんですね。それが自分に問いかける言葉であっても、自分のなかのもう一人の自分に使っているものですから、思い通りにならない自分のなかの自分は、ま、他人のようなものなのですよ。仲良くしていった方がより快適になるだろう他人のようなものが、内側の自分ですね。
というような気持ちになる事も、無数のキワドイ言葉達を使いまくりながら、この本で語りきっている野田秀樹(の瞳に自分が映るならその自分の瞳)に乾杯しながら、”ややこしおもしろわーるど”を楽しんでもらえたなら幸いです、なのです。






